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最高裁判所第三小法廷 平成4年(あ)968号 決定

本籍

東京都世田谷区南烏山二丁目三一番

住居

同板橋区西台四丁目三番五号 モアクレスト西台一〇〇六号

不動産賃貸業

瀬戸恒貴

昭和一七年七月一三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年九月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄下する。

理由

弁護人長谷川修、同高橋勇次、同土居範行の上告趣意のうち、ほ(逋)脱に係る所得税、延滞税、重加算税等を完納した被告人に対し重ねて罰金を科することが憲法三九条、三一条に違反するという点は、原審において主張判断を経ていない事項に関する違憲の主張であり、判例違反をいう点は、原判決は所論の点について何ら法律判断を示していないから、その前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、その実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

平成四年あ第九六八号 第三小法廷

○上告趣意書

被告人 瀬戸恒貴

右の者に対する所得税法違反事件について、上告の趣意は左記のとおりである。

平成四年一二月一七日

主任弁護人 長谷川修

弁護人 高橋勇次

同 土居範行

最高裁判所第三小法廷 御中

第一 原判決は、被告人を懲役二年、罰金一億三〇〇〇万円に処した第一審判決を是認し、控訴棄却の判決を下したが、右判決は、以下の点で、憲法三一条、同二九条、同三九条に違反しており、また、最高裁判所の判例と相反する判断をしているから、破棄されるべきである。

一 被告人はすでに重加算税を含め一一億円以上もの税金を納め、これにより株式売買益のほぼすべてをはきだしている。

かかる場合に、さらに多額の罰金を科すことは、適正な刑罰を科すべきことを定めた憲法三一条に反するばかりか、被告人の財産権を侵害するものとして憲法二九条にも反し、また犯人の資産状態を特に考慮すべきとした最高裁判例にも反するだけでなく、実質的には二重の処罰を科すことになり、二重処罰を禁じた憲法三九条、同三一条に反する。

二 被告人は、昭和六三年四月二五日に東京国税局の査察を受け、以来当局の調査に積極的に協力したばかりか、税理士の指導・協力のもと、預貯金を取り崩したり、税務当局に申し出て領置されている株券を返してもらい、これを順次売却するなどして、昭和六三年八月一六日から同月三〇日までの間に、所得税及び延滞税を全額納めた。

また、平成元年一月三一日に重加算税の賦課決定を受け、これについても自宅などの不動産や手持ち株券を売却処分して、同年三月一六日にその全額を納めた。さらに、被告人は、地方税についても、その全額を早期に納めた。

このようにして、被告人は、所得税額合計金六八〇、二七〇、四〇〇円、延滞税合計二五、九〇五、三〇〇円、重加算税合計二三五、六一四、〇〇〇円及び地方税合計金一八三、六七〇、三〇〇円を全額納付しているのである。

その結果納めた税金総額は、合計金一、一二五、四六〇、〇〇〇円になる。

この金額は、昭和六一年の総所得金額八八、一二六、三二六円、昭和六二年の総所得金額一、〇六八、三七二、〇〇〇円の、合計金一、一五六、四九八、三二六円にほぼ匹敵する額である。

このように、被告人は、株式取引によって得た所得のほぼ全額をはきだしており、また、これにより徴税の被害はすでに回復しているのである。

このような場合に、さらに多額の罰金を課す必要性がどこにあるであろうか。

三 そもそも、刑の量定をする場合には犯情その他諸般の事情を参酌するのであるが罰金刑については犯人の資産状態もまた特に考慮してその刑罰効果を挙げることに十分注意しなければならないとするのが判例である(最大判昭二五年六月七日刑集四・六・九五六)。

これを本件被告人についてみると、被告人は株式取引により多額の利益を得たものの、そもそもは一介のサラリーマンであり、特別な資産があるわけではない。しかも、本件犯行により銀行は懲戒免職となっている。

かかる資産状態の被告人に対して、一億三〇〇〇万円という通常のサラリーマンでは一生かかっても払えない罰金を科すことは、極めて酷であり、犯人の資産状態をまったく考慮していないといわざるを得ない。

したがって、原判決は、適正な刑罰を科すべきことを定めた憲法三一条に反するばかりか、被告人の財産権を侵害するものとして憲法二九条にも反し、また犯人の資産状態を特に考慮すべきとした最高裁判例にも反するものである。

四1 加えて、すでに重加算税まで完納し、所得のほとんどすべてをはきだした被告人にさらに多額の罰金を科すことは、実質的には二重の処罰を課すことになり、二重処罰を禁じた憲法三九条、同三一条に反する。

2 なるほど、重加算税は納税義務違反の発生を防止し、もって徴税の実を挙げようとする趣旨であり、違反者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目してこれに対する制裁として科せられる刑罰とは趣旨、性質を異にするから憲法三九条には反しないというのが判例である(最判昭四五年九月一一日など)。

しかし、重加算税をすでに払い終えている場合に、さらに加えて多額の罰金刑を科すことは、実質的には二重処罰となる場合があるというべきである。

3 そもそも、刑の感銘力ということを考えるならば、刑罰が被告人、被告人にいかなる感銘力を与えるかという見地から考察されるべきであり、したがって、刑罰を受ける側から検討するということが重要である。

かかる見地から考えると、刑を受ける被告人の立場からすれば、行政罰であれ、刑事罰であれ、金銭を国家に納めるという点では同じである。しかも、行政罰が著しく重い場合には、それにより実質的には被告人に対して十分感銘力が与えられており、さらに刑事罰により感銘力を与える必要はない場合がありうる。

とくに、罰金刑においては、一定の金額の剥奪により財産的苦痛を与え、もって犯罪者に制裁を与えることを内容とするのが罰金刑である。とするならば、重加算税が著しく重く、すでに相当程度財産的苦痛が与えられている場合に、これに加えて重い罰金刑によりさらに財産的苦痛を与える必要性はない。

そのような場合になお刑罰を課すならば、それは実質的には二重処罰になり、憲法三九条、同三一条に反すると考える。

4 これを本件についてみると、被告人は、株式取引で得た利益だけでなく不動産なども処分して、一一億円以上もの税金を全額納めている。一介のサラリーマンであった被告人がこれだけの金額を納めるのがいかに大変であったかは容易に想像できる。

すなわち、被告人にはすでに十分な刑の感銘力が与えられ、財産的苦痛を味わっているのである。

そのような被告人に対して、さらに一億三〇〇〇万円もの罰金を科すことは、必要以上の感銘力と財産的苦痛を与えることになり、実質的には二度処罰することと同じといえる。

したがって、それは憲法三九条、同三一条に反する。

第二 原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 原判決は、被告人は昭和六一年分の所得税の確定申告時においては、課税要件を認識しており、昭和六一年分の所得税のほ脱についても犯意があったとの事実を認定している。しかし、被告人は、昭和六一年分の所得税の確定申告時においては、課税要件を認識しておらず、しかも、当時の風潮として株式売買益には非課税という意識が一般であり、被告人もまた同様であったことから、所得税ほ脱の犯意はなかったのであり、原判決は判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

二 原判決は、昭和六一年分の所得税のほ脱の犯意を肯定するにあたり、〈1〉新聞記事の切抜き、〈2〉広瀬証人の証言、〈3〉親族にあてた手紙の文言、及び〈4〉被告人の捜査段階及び公判廷での供述を主な理由としているので、これらの点について検討する。

三 新聞記事の切抜きについて

1 原判決は、被告人が所得税の課税要件を認識していた理由として、第一に被告人の平成二年一一月一日付検面調書添付資料〈9〉の新聞記事切抜きをあげる。

2 確かに、同新聞記事には、「年間五十回以上、二十万株以上の株式売買した場合は、売買益に対し、総合課税されることになっている」との記載があり、被告人はその部分に赤鉛筆で旁線を引いている。

しかし、当該切抜きは、広島支店勤務時代に講習会の参考資料として使われたもので、かつ、昭和五七年という古いものである。しかも、講習会は単位未満株についての講習であり、新聞記事の内容も主として単位未満株の買取り請求についてのものであって、株式売買益の課税要件を主な内容とするものではない。

そのうえ、当該新聞記事は、被告人が、広島支店勤務時代の他の資料とともに、ノートに挟んだまま整理することなく、そのまま自分の机の中に入れたもので、その存在すら意識になかったものである(被告人の第一審第一二回公判廷供述)。

このようなことから、被告人が昭和六一年に株式取引を始めたころや、六二年の確定申告時に当該新聞記事を意識することはまったくなかったのである。

3 もっとも、平成二年一一月一日付検面調書二二丁において、「これは、確か私が三井信託銀行広島支店勤務時代の昭和五七年頃に、銀行内で単位未満株の講習会があって出席した際に、この新聞の切抜きを使ったものでしたので、株式売買の売買益にかかる課税要件を知識として私が知ったというのはこの頃のことでした。」と供述している。

しかし、これは、現に当該新聞の切抜きがあり、その記事の課税要件の箇所に旁線が引いてある以上、その当時は読んで分かったのであろうと考え供述したものであり、課税要件について、昭和六一年に株式取引を始めたときや、六二年の確定申告時に知っていたことまで意味するものではない(被告人の第一審第七回及び第一二回公判廷供述)。

現に、右供述直後に、「ただ、この頃の私は、株といっても社員株主制度を利用して三井信託銀行の株式を所有していただけで、売買まではしておりませんでしたのでこの要件を意識することはなかったのです。」と供述しているのである。

4 にもかかわらず、原判決は、「その後、この資料を読み返す機会がなければ、取引の回数や株数など課税要件の細かな数値までは記憶に留まらないとしても、株式取引による利益が全面非課税ではなく、一定の要件の下に課税の対象となるということは、一度理解すれば簡単に忘れるようなことではない。」などと、推論をなしている。しかし、われわれの日常的経験からしても、五年近く前の新聞記事の内容など、まったく忘れてしまっているのが通常であり、原判決の認定は経験則に反するものである。

四 広瀬証人の当公判廷における証言の信用性について

原判決は、第二に、広瀬証人の証言内容に何ら不明確なところはなく、十分信用できるとする。

しかし、広瀬証言が明確であるのは、被告人が課税要件を認識していたと推認させる事実についてにしかすぎない。

右の事実についてそれほど明確であるならば、被告人が広瀬証人に課税要件を聞いたことが、いつごろ、どのような状況の中で出た話しなのかについてもある程度記憶に残っているはずであるのに、広瀬証人が最初に被告人から質問されたというときも、口座開設後に再び被告人から質問されたというときも、具体的にいつごろ、どのような状況で質問されたかについてはまったく証言することができなかったのである。

いいかえるならば、訴追側にとって都合のよい事実についてのみ記憶が明確であるに過ぎず、その他の事実についてはなんら明確に証言をなしえていない。

そうであるならば、明確に証言した内容自体の信用性を疑わざるを得ないのである。

五 被告人の親族に対する手紙について

原判決は、被告人が親族三名送った手紙について、三者間の不和を未然の防止する目的と、被告人自身に対する課税回避の目的とは両立しうるのであるから、被告人自身の株式取引による所得に対する課税問題の発生を意識したものであるとした一審の判断に誤りはないとする。

なるほど、論理的には両者は両立するものである。

しかし、重要なことは、被告人が課税問題の発生を意識したものかどうかであって、両者が論理的に両立するかどうかが問題なのではない。

この点について、被告人は、三名の親族間で微妙に運用利息が異なるため、お互いにそのことが漏れて親族間で少しでも不信感を生じることを危惧して記載したものであり、被告人自身の課税問題を意識したものではないと明確に供述しているのである(被告人の第一審第七回公判廷供述)。

六 被告人が他人名義を使って株式取引をした動機について

1 被告人は、公判廷において、他人名義を使って株式取引をした動機について、「日本勧業角丸証券渋谷支店で被告人名義の口座で株式売買を急激に増加させたため、同支店の担当員から、誰が右の株を買っているのかということで被告人の名前が有名になるといわれ、銀行員としての自己の立場に悪影響を及ぼしかねないと考えて、他人名義での株式取引を行った」と供述している。

これに対し、原判決は、広瀬証人が、証券取引所から証券会社に問い合わせが来ることはあるものの、その全部について問い合わせが来るわけではないし、また、その問い合わせに基づき報告した場合でも、個人名が他に漏れることはない旨証言していることから、被告人の公判廷での供述は信用することができないとする。

2 しかし、個人が一つの銘柄を大量に取引した場合、証券取引所のほうから照会があること自体は広瀬証人も公判廷で認めるところである。そして、そのような照会がかつて現にあり、単独名義で取引すると兜町で有名になりますよという話しを勧業角丸証券渋谷支店の担当者から聞かされたとき、体面を重んじる銀行マンとして、その驚きようは容易に想像できる。

原判決は、広瀬証人の証言によれば、証券会社に必ず問い合わせがくるわけではないし、またその問い合わせに基づき報告した場合にも、個人名が他に漏れることはないから、被告人の公判廷での供述は信用できないとするが、問題なのは、現実に問い合わせがあるとか、個人名が他に漏れるかということではない。そのようなことがあり得ると聞かされた被告人の驚愕こそが重要なのである。

その意味で、広瀬証人の前記証言は意味をなさない。

3 現に、被告人はそれ以降、被告人が三井信託銀行の銀行員であることを知っている勧業角丸証券渋谷支店での取引は、昭和六二年二月五日にNTT株を二株買った以外、一切行っていない(被告人の平成二年一一月一日付検面調書添付資料〈10〉)。このように、勧業角丸証券渋谷支店を直ちに止めたことからも、被告人の驚愕を伺い知ることができるのである。

それゆえ、たとえ使用した名義が同姓の家族名義であるにせよ、被告人以外の名義の口座を開設して、被告人一人の名前が突出して目立たないようにしようとしたという動機も十分首肯できるのである。

七 株式の取引回数などについて

1 原判決は、被告人名義の取引について、昭和六一年五月ころには「同一銘柄二〇万株以上の譲渡」の要件は念頭になかったものの、広瀬証人に課税要件についての質問をした時点までには、その要件については正確な知識を得て、その時点以降は、右要件に触れる譲渡はしていないとする。また、「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」の要件についても、各店舗毎に売買回数を五〇回未満に抑えており税務当局による捕捉を困難ならしめるような工作をしているとする。

さらに、他人名義の株式取引についても、「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」の要件については、取引回数が五〇回を超えないよう取引回数のみ気を配っており、「同一銘柄二〇万株以上の譲渡」の要件については、譲渡が二〇万株未満となるよう配慮を怠っていないとしている。

すなわち、被告人は、課税要件を十分認識し、極めて計画的に緻密な計算のもと、課税要件を超えないよう慎重に株式取引を行っていたかのような認定をしている。

2 しかし、原判決の右認定は、単なる憶測にすぎない。

というのは、被告人の捜査段階での供述でさえも、課税要件を意識して家族名義の口座をつくったという程度の供述はあるにしても、原判決が認定するような、課税要件に触れないように、意識的、かつ、慎重に株式取引をしたという事実はまったく伺われないからである。

原判決は、結果的に課税要件の範囲内に収まった取引をとりあげて、あれこれ推測しているにすぎない。

そもそも、被告人は課税要件を認識していなかったのであるから、たまたま課税要件の範囲内に収まる場合もあれば、昭和六一年五月ころの被告人名義の株式取引や、昭和六二年一月から七月ころまでの瀬戸陽子名義の株式取引のように、課税要件を超える場合もあり得るのである。

3 なお、昭和六二年一月から七月ころまでの瀬戸陽子名義の株式取引について付言すると、取引回数の数え方には非常に技術的な面があることに留意すべきである。

すなわち、取引回数の判定基準に関する所得税基本通達九-一五によれば、確かに、昭和六二年についても、陽子名義の株式取引回数は五〇回の範囲内に収まる。しかし、このような通達まで認識している者はほとんどいない。むしろ、一般人にしてみれば、売買報告書に記載された回数、すなわち、被告人の平成二年一一月一日付検面調書添付資料〈10〉でいえば、一行について一回と数えると考えるのが自然といえるのではないか。

そして、この数え方によれば、妻陽子名義の株式取引回数についても、昭和六二年について、七月ころに五〇回を超え、「年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上」の課税要件を満たしてしまうのである。

原判決は、六二年分に関しては課税要件の認識に争いがないことをもって、かかる取引の不合理性には目をつぶる。しかし、被告人が課税要件を認識したのは昭和六二年九月ころであり、争いがないのは、それ以降課税要件を認識したこと、及び、実行行為時の虚偽過少申告行為の時点における犯意についてである。

八 被告人の検面調書及び公判廷供述の信用性について

被告人は、平成二年一一月一日付、同一二日付検面調書などで、課税要件について認識しており、したがってまた、昭和六一年分についても所得税ほ脱の犯意があった旨供述し、第一審第一回公判廷においても、これを認めている。

しかし、以上検討したように、被告人には昭和六一年分の所得税ほ脱の犯意はなかったのである。

被告人が検面調書や第一審第一回公判廷で犯意を認めたのは、昭和六二年分については所得税ほ脱の犯意があったことを自覚していること、昭和六一年分についても結果として税金を支払っていないことは事実であること、それよりも早く身柄拘束を解かれたほうがよいと考えたことからである。

また、確かに第一審第五回公判手続で公判手続の更新がなされているが、公判手続の更新が極めて形式的なものであることは周知の事実であり(訴因変更手続についても、本件では些少な金額の訂正にすぎず、形式的なものであった)、これをもって直ちに保釈後も捜査段階での被告人の供述を認めたということはできない。

昭和六二年のほ脱額は六億三一五八万一五〇〇円であり、これに対しては争っていないにもかかわらず、六一年のほ脱額の四七七九万二三〇〇円について争っていることからも、被告人の、事実は事実としてはっきりさせておくべきであるという供述(被告人の第一審第二二回公判廷供述)のほうこそ説得力があるといえるのである。

第三 原判決の刑の量定は甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一 原判決は、本件被告人の行為について、被告人に懲役二年及び罰金一億三〇〇〇万円に処した第一審判決を是認し、控訴棄却の判決を下した。

しかし、脱税に至った経緯、脱税の態様、国税当局による査察以後の協力的態度、被告人の著しい反省、被告人の一般的情状、課税制度の問題点、及び、被告人の資産状態に照らすならば、原判決の刑の量定は甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

二 本件犯行の全体像

原判決は、被告人の犯行の動機にはとくに酌むべきものが見当たらず、課税要件を潜脱するため家族や親族の名義を用い、多数の証券会社に口座を分散させるなどした所得の秘匿の手段、方法も悪質であって、被告人の刑責は甚だ重いとする。

すなわち、自己の利益を図るため極めて計画的に用意周到に所得税のほ脱に及んだものと捉えている。

しかし、これは本件犯行の全体像を見誤ったものといわなければならない。

本件犯行は、当時のいわゆるバブル経済の中で、多くの人々が株式取引に夢中になる中で、被告人もまたマネーゲームに巻き込まれ、株式取引に熱中していたところ、気が付いたときには課税要件をはるかに上回る取引を行っており、株式売買益を上げていたというのが実態である。

三 被告人が株式取引に至る経緯

1 被告人は、昭和六一年一月に三井信託銀行渋谷支店に転勤するまでは、わずかに勉強も兼ねて自己資金の範囲内で若干の株式取引を行っていた程度であった。

ところが、渋谷支店では、証券業務に対する積極的営業姿勢と、当時のバブル経済を反映して、支店長を初めとして行員自らが株式取引を頻繁に行っていた。

被告人は、渋谷支店に転勤して、約一六〇億円もの大口貸付先として同支店に出入りしていたコーリン産業株式会社の代表取締役小谷光浩とめぐり会い、その中で、小谷光浩が買い求める株式を買えば必ず値上がりすると強く思うようになった。

このような経緯から、被告人は、昭和六一年から同六二年にわたり、いわゆるコーリン銘柄といわれる、飛島建設株式会社や国際航業株式会社の株式を大量に取引するに至ったのである。

2 被告人は、生来的に物事に熱中する性格であるうえ、前述のような銀行内の雰囲気、小谷光浩との出合い等の経緯の中で、株式取引に熱中し、没頭するようになった。

そして、売買益が生じても被告人はこれを家計に入れるわけでも、資産として換価するわけでもなく、すべてを新たな株式取引の資金に投じ、株式取引の拡大にのみ没頭していったのである。

また、被告人の当時の株式取引は、電話申し込みなどにより行われ、逐一株券を所持するわけでなく、また、証券会社も取引拡大のため信用取引の方法を勧めていたこともあって、被告人は売買益の正確な把握も管理もしていなかった。

結局、被告人は、売買益の利用に関する明確な目的もなく、また、売買益の正確な把握も管理も十分でないまま、株式売買自体が目的であるかのような取引を行っていたのである。まさに、マネーゲームに巻き込まれていったのである。

四 原判決の量刑理由について

1 原判決は、その量刑理由の中で、犯行の動機について特段の酌むべきものが見当たらないとする。

しかし、前記のように、当時の社会全体がマネーゲームに熱中し、被告人自身もまた、取引自体が目的であるかのようにそれに巻き込まれていったという事情を鑑みるならば、動機にも考慮すべき事情はある。

2 また、原判決は、家族や親族名義の口座を設けて株式取引を行っており、手段、方法も悪質であるとする。

しかし、家族や親族名義の口座を開設した理由は、「第二」の項で述べたとおり、昭和六一年夏ころ、勧業角丸証券渋谷支店での被告人の株式取引について、証券取引所から誰が取り引きしているのかの照会があったことを知り、証券会社の中で名前が知られ、ひいては勤め先の銀行に知られることを恐れたためであり、口座を開設したときにも口座を分散させることにより脱税をはかるという意識はなかった。

五 昭和六二年分の確定申告時の苦悩

被告人は、昭和六二年九月ころ、課税要件について知ったが、銀行員としての立場を考え、一人で悩み続けた。

被告人は、結局、株式売却益の申告をしなかったのであるが、株式取引については、もはやこれ以上やらないことを決意し、昭和六三年からは、従前のような株式取引は一切行っていないのである。

六 国税局の査察に対する被告人の積極的協力と早期の納税

1 被告人は、昭和六三年四月二五日東京国税局による査察を受けた。

以来、被告人は、自己の軽率な行為を深く反省し、税務当局の調査に対し、終始積極的に協力し、誠実に対応した。

検察当局の捜査についても同様に、誠実に対応したのである。

2 このように、被告人は、税務当局、検察当局の捜査に積極的に協力するとともに、脱税した所得税についても一日も早く納めて、その責を果たしたいと考えた。

そのため、税理士の指導・協力のもと、預貯金を取り崩したり、税務当局に申し出て領置されている株券を返してもらい、これを順次売却するなどして、昭和六三年八月一六日から同月三〇日までの間に、所得税及び延滞税の全額を納めたのである。

また、重加算税についても、自宅などの不動産や手持ち株を売却処分して、同年三月一六日にその全額を納めている。

さらに、被告人は、地方税についても、その全額を早期に納めている。

このようにして、被告人は、所得税合計金六八〇、二七〇、四〇〇円、延滞税合計金二五、九〇五、三〇〇円、重加算税合計金二三五、六一四、〇〇〇円及び地方税合計金一八三、六七〇、三〇〇円を誠意をもって全額納付したばかりか、所得税、延滞税及び地方税については通常の場合より極めて早い時期に自主的に納付し、その責を果たしているのである。

その結果、納めた税金総額は合計金一、一二五、四六〇、〇〇〇円になるのである。

七 株式売買益に対する課税制度について

1 原判決の刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反するかどうかを判断するにあたっては、課税制度についての考察が不可欠であるので、以下検討する。

2 課税制度の運用実態

租税法律主義の制度において、ほ脱の要件を定める租税法規には複雑かつ技術的な面があると同時に政策的な要素が多く、その趣旨が不十分な場合が少なくない。

また、経済社会においては、脱税行為が相当行われている現実があることは否定できない。

さらに、脱税行為に対しては、そのほ脱金額が高額である場合においても、重加算税などの行政的制裁を科することにより租税利益の侵害は回復されることを考えると、刑事制裁を科することは相当慎重であるべきである。

とりわけ、本件の株式売買益については、当時一般的には非課税と考えられており、また、広瀬証人の公判廷証言でも明らかなように、課税要件を免れるため名義の分散が相当広範囲に、いわば当然のように行われていたことに鑑みると、なお一層刑事制裁には慎重な配慮が必要である。

ちなみに、佐光孝次証人は、二〇年以上税理士としての経験があり、法人関係及び個人関係を合わせ、年間二二〇件くらいの案件を処理し、税理士の平均量以上の業務内容にもかかわらず、株式売買益に対する納税案件の委任や相談はこれまで受けたことがなく、本件が初めてであり、また、他の同業者においても極めて稀であると証言している(第一審第二二回公判廷証言)。

この証言からも、株式売買益に対する課税制度の運用の実態を伺い知ることができるのである。

3 課税制度の不合理性

(一) 次に、本件犯行当時の課税制度の不合理性が指摘されるべきである。

すなわち、昭和六一年及び同六二年当時の課税制度においては、株式売買による利益の発生の捕捉が困難であるという技術的難点があると同時に、株式の価額はときの経済市況を反映して変動し、一旦生じた利益もたちまち消滅して損害に転じることが極めて多いにもかかわらず、一度生じた利益に対して依然として納税義務を負わせることになるという不合理な面があった。

このようなことから、平成元年四月から従前の課税要件は撤廃され、源泉分離課税方式と、申告分離課税方式に改められたうえ、納税者にそのいずれかを選択する自由を与えるようになった。

すなわち、現物株の売買については、売買代金の一%の源泉分離課税または売却益の二六%(所得税二〇%、地方税六%)の申告分離課税のいずれかを選択でき、また、信用取引については、取引ごとの実利益の二〇%の源泉分離課税または一年間の売買益(一年間の損益合計)の二六%(所得税二〇%、地方税六%)の申告分離課税のいずれかを選択できるよう改正された。

(二) このような制度のもとで、被告人の平成二年一一月六日付検面調書添付資料〈1〉の1ないし4に基づき、被告人の昭和六一年及び同六二年の株式売買益に対する税額を試算すると、次のようになる。

源泉分離課税を選択した場合には、昭和六一年分が合計金二一、四〇〇、七五九円、昭和六二年分が合計金六一、五九七、三七二円となる。

申告分離課税を選択した場合には、昭和六一年分が所得税と地方税を合わせて合計金二九、四六〇、二〇七円、昭和六二年分が所得税と地方税を合わせて合計金三〇八、六六七、二一七円となる。

したがって、税制上有利な源泉分離課税を選択すれば、被告人の昭和六一年分と昭和六二年分との合計所得税は、金八二、九九八、一三一円に過ぎなくなり、本件所得税額とは著しく異なったものになる。

このように、課税制度の抜本的変更によって、納税額が著しく不公平な結果になっているのである。

(三) 以上のように、刑罰を科し、また、その量刑を定めるにあたっては、〈1〉本件犯行当時の税制が、その後変更されたことからも明らかなように、不合理なものであったこと、〈2〉その後の課税制度の変更に伴って課税額が著しく異なるものになっており、不公平が生じていること、〈3〉現在の税制もその不合理性が指摘され、新聞報道によれば税制が再び変更される可能性が高く、このように税制が変転すること自体に問題があることなどにも、十分配慮されるべきである。

八 すでに相当の社会的制裁を受けていること

被告人は、三井信託銀行有数の支店である渋谷支店の支店次長になるなど、有能な人材として将来を期待されていたが、昭和六三年四月国税局の査察を受け、同年一〇月、脱税したことを理由に懲戒免職処分になった。これにより、被告人は将来を嘱望された銀行員としての地位を失ったのである。

また、被告人とその家族は、税務当局の査察を受けたことにより、それ自体の打撃はもちろん、精神的にも甚大な打撃を受けた。

すなわち、新聞等で三井信託銀行渋谷支店次長のコーリン株取引による巨額脱税事件として大きく報道され世間に周知されたため、被告人は精神的にもおかしい状態になり、妻も多くの友人を失い、さらに、当時小学四年生の二女は学校でいじめられ登校拒否するようになり、中学三年生の長女も精神的に動揺して高校受験のための勉強が身には入らないという状態となったのである。

その後、被告人一家は、世田谷区から板橋区に居を移し、ようやく安らかな生活に戻れるかと思った矢先、平成二年一〇月二四日、検察当局によって被告人が逮捕され、新聞等は、前にも増して連日大々的に報道し、そのため、被告人及びその家族は、税務当局による査察以来、二度ならず三度までも、大きな精神的苦痛を味わされることになったのである。

九 被告人の現在の状況

被告人は、三井信託銀行を懲戒免職になった後、謹慎の意味からしばらく仕事に就かないでいたが、生活のこともあり、納税も完了し一段落ついた平成二年五月ころから、仙台市内においてワンルームマンションを対象とした不動産賃貸業を始めた。

ところが、不動産事業がまだ軌道に乗らない同年一〇月二四日に突然逮捕され、平成三年一月二二日まで勾留されたために、事業に専念できなくなった。そればかりか、新聞報道に大々的に報道されたことにより、銀行も被告人の不動産事業に対する貸し出しをすべてストップし、被告人に対し返済を強く迫って来るようになった。

被告人としては、借金を返済するためには、当面、購入したマンションを逐次売却していく以外にはないのであるが、最近の不動産業界の冷え込みによりマンションの売却も容易でない。

しかし、被告人は、債権者に迷惑をかけたくないという一心で、連日、各金融機関との折衝にあたったり、マンションの早期売却に奔走するなどの努力をしている。かかる仕事は、長年の銀行勤務で金融取引業務や不動産取引業務に通じている被告人なればこそなしうるのであって、その方面の知識、経験のない被告人の妻ではとうてい不可能である。

また、他に被告人に代わってこれを処理できる適当な人材も見あたらない状況である。

以上のような事情のもとで、被告人が現実に服役すると、被告人の事業は確実に破産することになり、債権者に多大の迷惑をかけることはもとより、将来の生活設計も崩壊し、被告人の更生はかえって困難になり、妻子もまた悲惨な結果に陥ることは必定である。

また、一億三〇〇〇万円という多額の罰金は、それ自体被告人の家庭を崩壊させるに十分な額であるし、罰金が払えず労役場留置ということになれば、前記と同様、被告人の事業は破産し、家族を崩壊させることは明らかである。

一〇 被告人のその他の情状

被告人は、温厚、真面目な人柄であり、職務についてはもとより、何事にも熱心に取り組むうえ、語学に堪能で、エジプト考古学の研究に打ち込むなど学究肌の人物である。また、被告人は元来親思い、家族思いの優しさがあり、家庭にあってもよき父、よき夫であった。

被告人には、前科前歴はまったくなく、本件が文字どうおりの初犯であり、再犯の恐れもまったくないことは明らかである。

一一 最後に

1 被告人には、本件が発覚して以来、被告人の行為を深く反省し、本税、延滞税、重加算税、地方税などを完納した。それにより、株式売買益のほぼ一〇〇%を支出している。そのうえ、長年勤務し、将来を嘱望された銀行員の地位を懲戒免職によって失い、現在の不動産賃貸業も赤字続きで今後の生活設計もまだ十分目度がたっていない状態である。

要するに、被告人は、本件犯行によりすべてを失ったのである。

そればかりか、現在の不動産賃貸業が赤字続きでその債務の返済に東奔西走するうちに、平成四年一〇月に出張先の仙台で高血圧性脳内出血を起こし、現在も仙台市内の病院でリハビリ中である。

以上の諸事情を考慮するならば、被告人に対してもはや実刑をもってのぞむ必要はないというべきである。

2 さらに、一億三〇〇〇万円という多額の罰金を科す必要もない。

被告人は、株式売買益のほぼ全額をはきだしており、また、これにより徴税の被害はすでに回復している。

このような場合に、さらに多額の罰金を課す必要性がどこにあるであろうか。

そもそも、刑の量定をする場合には犯情その他諸般の事情を参酌するのであるが、罰金刑については犯人の資産状態もまた特に考慮してその刑罰効果を挙げることに十分注意しなければならない、とされている(最大判昭二五年六月七日刑集四・六・九五六)。

これを本件被告人についてみると、なるほど、被告人は株式取引により約一一億円もの所得をあげた。しかし、その所得も税金によりほとんどはきだしており、現在は何らみるべき資産もない(不動産賃貸業として所有しているマンションはすべてローンが付いており、資産価値はない)。

被告人には、そもそもは一介のサラリーマンであり、特別な資産があったわけではない。しかも、本件犯行により銀行は懲戒免職となったのである。

やむなく始めた不動産賃貸業も、今日の経済情勢のもとで、まったく収益を上げることはできず、赤字経営の状態である。

かかる資産状態の被告人に対して、一億三〇〇〇万円という通常のサラリーマンでは一生かかっても払えない罰金を科すことは、極めて酷であり、犯人の資産状態をまったく考慮していないといわざるを得ない。

ちなみに、国会議員の一七億〇二八七万円の巨額の脱税事件において、東京地裁は、被告人は未だに脱税にかかる税金について多額の未納分があること、さらに数億とも予想される重加算税を課せられること、これらの納税を果たせば被告人にはもはやみるべき資産がなく、家族の生活を維持するのが困難な状態に追い込まれかねない等の事情を考慮して、罰金刑を併科しなかった(東京地裁平三年一一月二九日判時一四一四号一二六頁)。

右判例における、被告人にみるべき資産はなく、家族の生活を維持するのも困難な状態に追い込まれかねないという事情は、本件被告人もまた同様である。

むしろ、被告人は重加算税まできちんと納めているのであるから、かかる者に罰金を科し、重加算税さえ納めない者にその事情を考慮して罰金を科さないというのは不合理である(それゆえ、この場合にも罰金を併科すべきであったという考えもあり得るが、それは罰金を科すにあたっては被告人の資産状態を考慮すべきという最高裁判例からいって、本末転倒の議論である。)。

3 加えて、このような被告人の資産状態において、一億三〇〇〇万円もの罰金を科すならば、これを支払うことは到底不可能であり、労役場留置となることは間違いない。

しかし、労役場留置となることが確実である場合に、なお多額の罰金を科すということは、財産的苦痛を与えることによって犯罪の抑制をはかるという罰金刑の刑事政策的意義を没却せしめる。

しかも、当初から労役場留置となることが明白な場合になお多額の罰金刑を科すことは、二度の身体刑を当初から科すことになり、この点からも問題がある。

4 以上の諸事情に鑑みるならば、懲役二年及び罰金一億三〇〇〇万円を科した第一審判決を是認した原判決は、刑の量定が甚だしく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。

以上

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